自給的暮らしに向けての軌跡。
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読書感想文:『プロメテウスの罠~明かされなかった福島原発事故の真実』
きっかけはJohnにいつも口で負けてしまうことから、(彼は常識とか理詰めで説き伏せてくるので私はいつの間にか丸めこまれて?いる)、賢くならねばと奮起したことでした。
つまり、暇な時に図書館で興味のある分野の本を借りて来て、知らなかったことやわかったことをさらに暇な時にノートに書いているのです。
(あたしって賢い!!天才!!!)

で、どうせなら私がわかったことを他の人とも共有しようと思った訳です。政治的なこともあるので注意深くならざるをえませんが。

今回紹介するのはこの本です!

『プロメテウスの罠~明かされなかった福島原発事故の真実』
朝日新聞特別報道部=著 Gakken 2012.3.26


プロメテウスの罠: 明かされなかった福島原発事故の真実プロメテウスの罠: 明かされなかった福島原発事故の真実
(2012/02/28)
朝日新聞特別報道部

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第一章 防護服の男
…浪江町の避難所に集まった住民たちを主人公に、3月12日からどう過ごすことになったかを取材しています。

第二章 研究者の辞表
…放射線衛生学の専門家木村真三氏を中心に、彼の友人の報道人や大学教授たちを取材しながら、地震の直後から任意で放射線を観測した人々が居たにも関わらず、多くの人々が測定した放射線が国民に知らされなかった経緯を書いています。

第三章 観測中止令
…世界規模で半世紀以上も放射能観測をしている、気象研究所が、気象庁から2011年3月31日に突然放射能の観測を止めろと言われました。
早急に放射線の観測をしなければならない箇所が増えたため、明日から予算を回せないというのが理由だったそうです。
また、研究所の専門家たちがネイチャー誌に海洋の放射線量の推移を発表しようとした時、所長から潰された事実も載せています。
放射能の観測は、研究者たちの意地によって続けられ、現在は予算は下りているそうです。

第四章 無主物の責任
…広島でご自身も被曝しながら被曝者の治療にあたってきた、肥田俊太郎医師に取材し、内部被曝の可能性を書いています。
肥田氏は、「これから福島で、広島や長崎と同じように苦しむ人々が出てくる」と断言していました。

第五章 学長の逮捕
…チェルノブイリ事故の後、被爆者たちを解剖し、放射性物質の身体への溜まり方を調べた医師に取材しています。
ウクライナにも取材に行き、内部被曝を減らすためのウクライナの取り組みなどを紹介しています。
(ウクライナと日本の食べ物の基準を比べると、日本は相当甘い。)

第六章 官邸の五日間
…ネットのレビューでも最も評価が高かった記事です。3月11日からの混乱ぶりを赤裸々に暴き出しています。
対策本部にフクイチの地図すらなく、保安院のトップたちが テレビと記憶を頼りに情報を集めていたとか怖すぎです。


この本は、朝日新聞の長期連載を書籍化したものです。
詳しくは各自で読んでもらうとして、私がこの本から分かったこと。

1、なぜSPEEDI(放射性物質拡散予測システム)が活用されなかったのか?

原発事故の対策本部は、現場に構えられると防災マニュアルに規定されています。SPEEDIを使って避難区域を決めるのも現地対策本部です。
実際フクイチから5キロの地点で作られはしたものの、通信回路の途絶や余震によって、要員も集まりませんでした。そこで保安院は経済産業省別館にて対応センターを作り、SPEEDIで拡散予測図を作っていました。

一方そのころ、官邸は官邸で、現地対策本部が機能しない以上、自分たちが避難区域を決めなければならないと考えていました。
首相の周りには保安院のトップたちがいたにも関わらず、誰もSPEEDIのことを進言した人はいませんでした。

そして官邸対策本部は、原発から同心円上に避難区域を設定し、経済産業省の対策チームよりも先にそれを発表してしまいました。
その結果、20キロ以上の場所へ逃げた人々も多くが被曝してしまったのです。

アメリカが日本政府よりも先にSPEEDIの結果を知っていたのは、日本の外務事務官を通じて放射能の拡散予測をメールでもらっていたからです。
その頃日本政府は130億円もかけて作ったSPEEDIの存在すら知らぬまま、場当たり的に避難区域を作り、大慌てでベントをしてしまったのです。


2、菅首相がフクイチへ視察に行ったから、ベントが遅れて爆発した?

これは単にネットで言われる個人的見解ですが、実際どうなのかなぁと思っていました。
実際は、原発で起きている情報が全く入って来ず、(首相は原発の爆発をテレビで知った)、保安院長の寺坂氏は経済学部出身であるなど、周りの官僚たちも頼りになりませんでした。首相は自分の人脈から、信頼できる人を集めて対策本部のメンバーにしました。
痺れを切らした首相は、現地で何が起きているのか責任者と話すために、ヘリでフクイチへ向かいました。

ベントがなかなか出来なかったのは、ベント弁を開くための電源が喪失していて、手動で開けなければならなかったのに、線量が高くて人が近づけなかったためです。実際、ベントを開けに行った決死隊の一人は100ミリシーベルトを浴びています。(その後どうなったんでしょうか……)

原発事故は誰一人として想定していなかったため、重要なポストを占めていた人々は原発に詳しくない人も何人かいましたし、そもそもの危機管理体制がまったく整っていませんでした。
あの時の、枝野官房長官の楽観的発表は犯罪だと思います。
(この本では、官邸の対策本部が、放射能の危険性やどれだけ放出されるかなどをわかって対応していたのかどうかは不明)

私は、人間が原発を扱う以上、これから先も世界各地で事故は起こると思っています。
そして危機管理能力の欠如や隠蔽体制は、日本やソビエトだけではないと思っています。

そしてフクイチはまだまだ危険なままです。

放射能に汚染された冷却水の処理、海水を注入した原発の腐食、これから難しくなるであろう専門家の確保、高濃度放射線に阻まれた破損した格納容器、そして使用済み燃料が1500本以上残ったままの四号機。

なんか私たちは最近は原発のことを考えなくても生きて行ってるけど、危険はちっとも減ってないんですよね。

今回の教訓が、これから先の日本で、絶対に絶対に、活かされますように。

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チャリこいで死によった
今年の目標「早寝早起き」も仕事開始から四日目で早くも破れた茜です。
「約束とパイの皮は破るためにある」って何処の国の言葉やったっけ?(ー ー;)

しかし、まだ早起きの熱意に燃えていた頃、私にはある企みがありました。

それは、朝 車で50分かかる通勤路を、自転車で行きたい!!
自転車道なら信号もないし、平坦だから早いハズ!!
ガソリン代もいらんし体力もついて冷え性バイバイで健康になれる!!
海沿いの自転車道めっちゃ楽しそう!一体どんな景色が私を待っているのかしら!?
もう行くしかない。
他に道はない。

というわけで、行って来ました新年早々!!

私はいつもより30分早く家を出、(片道50分かかっているのは渋滞しているからで、夜だったら30分で行ける)、朝も早よからおにぎり作って洗濯も洗い物も済ませ、ご機嫌で自転車を走らせました。

その自転車というのが、これです。


友人が彼氏にもらったものやけどさらに私にくれたとゆう、六段変速のオシャレな自転車。
タイヤの小ささは心配ですが、
「タイヤが小さいから漕ぐのに力いらんし、変速ギアもついちゅうきスイスイ進むきママチャリよりこっちの方がいいで!」
とゆうJohnの激励により、私は意気揚々とヤス2号を漕ぎ出しました。
(ヤスヨちゃんにもらったからヤス2号)

道に迷うというトラブルもありましたが、なんとか自転車道を発見。
その後は薄気味悪いトンネルを通ったり(廃墟マニアの私としては涎モンのスポット)、
木々がトンネルのように覆い被さった並木道、
台風の時はもろ波にさらわれそうな広々とした浜辺、
薄暗い松林の中、
海も国道も見下ろせる橋の上、
春になったら桜が満開になるにちがいない桜並木…

など素晴らしい景色が次々と繰り広げられていきました。

ところが、私は直ぐに気づきました。

「タイヤが小さいと、遅い。」

始業時間まであと30分しかないのに、私はやっと半分のところに来たぐらいでした。そしてここまでに一時間かかっているのです。

さらに、わかってきました。

坂道でギア変えて軽くしても、その分いっぱい漕がないかんわけで、一番ローにして立ち漕ぎした方が早い。

つまりママチャリでえい。


このヤス2号はこいでもこいでもちょっとしか進まんし、もどかしくてたまらない。
そうこうするうちに始業時間を悠に超え、結局着いたのは20分も遅刻してから。
一時間半で行けると読んだ道は、なんと1時間50分。
当然尻は痛いし、太ももはパンパンやし、膝はガクガクで疲れ切っていました。

そして帰りもこのしんどさが待っている………。

職場のヒーローになる筈が笑い者になり、親方には「二時間あったら東京へ行ける。」と鼻で笑われ、日没が迫る中孤独に帰路に着いたのでした。

夕暮れの海を渡る鳥の隊列、綺麗やったなぁ……。



そして脳裏に響くはJohnの声。

「タイヤが小さいと漕ぐのが楽だからママチャリよりえいで。」
「ママチャリよりえいで。」
「えいで えいで えいで……」

嘘つきーーー!!!!


でも私は思うんです。

ママチャリやったら、1時間半で行けるろう、と。
家にJohnが分解したママチャリが転がっているんです。これをまた組み立てれば……。

私はまだ諦めないッ!!

I'LL BE BACK SOON.......
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いろんな世界
 ある本を読みました。
 日明恩の『ロード&ゴー』。
 救急隊員が主人公のミステリー小説で、これを読むと道で救急車にすれ違うたび敬礼をしたくなってしまうぐらい、職務に邁進する救急隊員を細かく取材しているのです。

ロード&ゴーロード&ゴー
(2009/10/21)
日明 恩

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 で、本編からはずれるのですが、その中に私が特に驚いたことがあるんです。

 この本の中には、救急車の無線を傍受することが趣味の女子高生が出てくるのですが、警察とか消防とかの無線って、誰でも聞けるんですって。もちろん聞かれてはいけない内容だと、仲間内でしか聞けないように回線を切り替えることもできるんですけど、基本的に公開されているそうです。
 で、世の中には、それを傍受してネットの掲示板にリアルタイムで書き込んだりするのを趣味とする人たちがいるんだそうです。
 
 最近は特技を極めた人がブログや動画で有名になってテレビに出てきたりするけど、世の中にはほんまいろんな世界があって、そこにはどっぷりその世界に浸かってる人がおるよなぁ、と思ったことでした。


 もう一つ、それを実感したことがあります。
 
 年末にJohnにつれられて、Johnゆかりのライブハウスに行ってきました。
 一つは、香川県のRIZIN

 ライブの前にJohnの前に現れたのは、Akkaというガールズバンドのドラマー、ハナさん。ライブだからか、ハードブーツに鋲をいっぱいつけたアイテムを身体にじゃらじゃらまとって、いかにもハードロック(だかパンクだか私にはわかりませんが、)キメキメでした。
 その、超自分を主張するファッションを堂々と着こなすハナさんに私は興味津々。
 ハナさんは、Johnが使ってない家電を譲ってくれたお礼にと、私たちを招待してくれたのです。

 私はライブとかほとんど行ったことないし、アマチュアのライブでしかもパンクなんで、人生でかすりもしませんでした。
 開演が近づくにつれ、金髪の男女とか、鋲つきの革ジャンを着た人とかが入り口の周りに集まり始めました。箱の中にはさらにいかにもな人たちがぞろぞろいました。

 Akkaは一番最初だったのですが、私にとってはすごい衝撃的でした。

 まず、今までの人生で音楽へのベクトルが一ミリも向いたことのない私にとっては、“音楽”というものを 無から人に披露できるまでの形にするということが凄い新鮮ですし、それを他人が集まってみんなで一つの形に作っていくっていうのもすごいことやと思うし、Akkaは最初の演奏だから、今いる客たちはお金を払ってまで彼女たちの演奏を見に来たわけです。そのレベルにいるってことも凄いし、ステージの上で全力で演奏するメンバーもめちゃくちゃカッコよかったです。
 Akkaのスタイルなんでしょうが、一切トークはなく、演奏以外で客に向かってのサービスも一切なく、出番が終わると楽器をゴロンて床に放ってはけてしまうのとかもびっくりしました。
(Akkaの別のライブの動画がったのではっとくね)





 あまりのカルチャーショックに痺れていると、次にステージをセッティングしだしたバンドは、ボーカルはスリットドレスにピンヒールのロングヘアのお姉さんだし、ベースはフリルのブラウスに胸にバラを挿したポアロ髭のおっちゃんだし、ギターは髭も髪も同じぐらい長く伸ばしたオジサンだし・・・

 Akkaとのギャップというか、バンドメンバーのギャップも面白くて、とにかくここに集まる人たちは超個性的な面々だということがよくわかりました。
 
 
 それから年末に、高知のCHAOTIC NOISEの年越しライブへ。
 
 なんというか、ノリが独特やった。各バンドごとに色がぜんぜん違うかったけど、客は身体をぶつけ合ったりキツツキみたいに頭を振ったりしていました。バンドのメンバーもステージから降りて客の中を動き回ったり、ビールケースの上にたてったり、天井にぶら下がったりと悪乗りし放題。
 そしてステージから降りたメンバーの替わりに、別のバンドの人がギターやドラム叩いたりして、あり得ない光景が繰り広げられていました。

 なんか、不思議な空間でした。
 痙攣中みたいに陶酔してる人もいれば、隅のほうでリズムを取ってマイペースに楽しんでいる人もいるし、自分の見たいバンドのときだけ入ってくる人もいるし、私のように一人ぽつんと居る人もいるし、どんな人もそのライブ会場は独特の世界に呑み込んでしまうみたいでした。

 
 ライブには私たちの結婚披露宴に来てくれた方も何人か居ました。
 そのうちの一人、ハナクソ君。
 彼は結構ギリギリに余興を頼んだにも関わらず、快く引き受けてくれ、大いに会場を沸かしてくれました。
 この日は最後から二番目で、他の出演者がバンドという形だったのに対し、彼はギター一本でステージに立っていました。
 ハナクソ君が歌い始めると、なんか会場が一つになった気がしました。最後にはアンコールも起こっていました。
 会場には何人か女の子も来てたんやけど、ハナクソ君が終わった後はなんか打ち解けていました。




 私は最初に書いたように音楽には超疎いんやけど、自分の好きな世界に没頭してる人って無条件に尊敬するし、自分の知らない世界をちょっとやけどかいま見れてすごく楽しかったです。
 私は私の得意分野を広げていこうと思えました。


 というわけで、今年もよろしくお願いします。


 





 
 
 
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エコ友と高知遊び
去る11月17,18日と兵庫県から友達が来てくれてました。彼女とは農業研修で出会って、10年近く経つのに未だに定期的に連絡をくれているのです。
彼女は私が初めて出会ったエコ友、と言っても過言ではなく、歳の近い彼女と、他の友達には言えないことも語り合えたり、一緒に励まし合ったりして、彼女のお陰でとても楽しく有意義な研修期間が過ごせました。

トミーは地道な努力家で、でも控え目で、でも自分の考えをしっかり秘めた素敵な女性なんです

そんなトミーが、結婚のお祝いをしてくれるためにわざわざやってきてくれました。

まずはオーガニックマーケットに案内してから、次は南国市の掩体壕(えんたいごう)へ。

掩体壕とは.....

戦時中、今の高知空港から西一帯は広大な飛行場でした。掩体壕は戦闘機の格納庫です。戦争も末期になると、この飛行場から特攻隊も出撃して行ったそうです。
戦争が終わり、国に買い上げられていた土地に住民が戻って来て、飛行場は田んぼや住宅地になりました。
けれど、コンクリートで頑丈に作られた掩体壕は、戦後になっても残り続けているのです。今でも七体が田んぼの真ん中や住宅地にそびえ立っていて、周りの風景とは明らかに違う存在感を醸し出しています。







掩体壕は余り観光情報には乗っていませんが、知る人ぞ知る穴場だと思っています。


次に赤岡の和菓子屋・西川屋でお抹茶をいただいてから、昔ながらの町並みを歩いて絵金蔵へ。
蔵の中は江戸時代の絵師・金蔵が描いたおどろおどろしい絵が飾られ、蝋燭を模した証明で照らされていました。
絵金祭りでは家々の前に本物の絵金の絵が飾られ、本物の蝋燭の光で鑑賞することができるそうです。顔料に含まれる成分が炎でキラキラと輝き、目や血流などに何とも言えない力が宿るとか....

キャーッ
本物見たいですよね!!

絵金蔵は絵の解説や赤岡の町並みの様子などいろいろと展示物があって、海に近い赤岡の町、ということで海鳴りのBGMが流れていて、たっぷり絵金の世界に堪能しました。
絵金蔵のH.P.→
http://www.ekingura.com/


夜は私の家でヴィーガン手巻き寿司パーティ。
ヴィーガンとは、動物性食品を一切食べない人のこと。因みにベジタリアンは、乳製品とか卵ならOK、とか、飼ってる鶏とか山でとれた猪とかならありがたくいただきます、とかっていう感じかな??
トミーは肉も魚も食べるけど、あえてヴィーガンレシピにしたのは、そういうのも喜んでくれるのがわかってたから。「肉や魚がない=もの足りない」ってなるか、「肉や魚がない=その分工夫してて美味しい!」って喜べるか人それぞれだと思うけど、トミーは後者の方と思って。
Johnも、「この醤油に漬けたトマトときゅうりやワサビ一緒に食べたらマグロの河童巻きみたい!」
「アボカド+ワサビ醤油でトロみたい!」
「豆腐マヨネーズも普通にチューブに入ってたら言われんかったらわからん」
と満足していました。


次の日は悲しいことに大雨
昨日のオーガニックマーケットで、加工食品で出店中の「おねおね畑」さんが最近おうちカフェを始めたというので食べに行くことになってたので、雨の中出発。
オーベルジュ土佐山村(温泉兼宿泊施設)の近くだというので、ナビを頼りに向かったんやけど....

悪名高きiPhoneの新バージョンのナビシステムに大苦戦!!!
Google mapも細かい地図出んかって、曲がり角間違えたりそもそも遠回りの道が表示されてたらしく、道中どこにもオーベルジュ土佐山村の看板もなく、雨が降りしきる中、山道でiPhoneは圏外になるという無責任っぷりを発揮してついに立ち往生してしまいました おねおね畑さんに聞いても、私たちがいる場所がわからないらしく
計画性のあるトミーは心配そうにしています

とりあえず、ナビの通りに道を走ってきたんやから!もっと進んで民家があったら聞く!!と決めて走っていると、くじけそうになった頃 曲がり角にやっとオーベルジュ土佐山村の看板発見!!

後は看板通りに行ってなんとかたどり着きました。

日曜日と月曜日のお店なので、「日月茶屋(ひづきぢゃや)」。素敵なネーミングですよね。
小さな古民家を改装して、オープンキッチンになってました。



えー、わかりにくいですが。

1.カブのタカキビあん
2.がんもどきのあんかけ
3.サツマイモのナスサンド揚げ
4.ゴボウとインゲン豆と人参の切り干し大根巻き
5.青菜の柚子塩麹和え
6.ニンジンと柿とチャーテの酢の物
7.じゃこと大根葉炒めを玄米ごはん乗せたもの

私がオーガニックマーケットで出店したつくね芋入りのお汁。

このクオリティで800円

どれも丁寧で優しい味で感動!

プラス山奥の渓流、棚田、紅葉付き!!!

とみーとおねおねさんと三人で、とっても深い話ができてすごく充実した時間でした。
特に、とみーの絶妙のスタンス(自分の心が周りの環境に乱されることなく、周りのことも受け入れて自分もちゃんとある、みたいな)は私がなかなかなれん心境だから、とっても心に響いたなぁ。

とみーは過酷な仕事から退職したばかりで、お互い人生の節目にこうしてまた会えたことが本当に嬉しいです。
生活圏は離れつつも、これからもお互いの人生を見守っていきたいなぁ、そう思いました。

おねおね畑さん(日月茶屋)のブログ
http://oneone9.exblog.jp/


(来年度から営業はしばらくお休みで、3/17[日]から始めるそうです。一人でやりくりしてるのでランチはぜひ予約を☆)
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甘柿de干し柿☆

庭の柿がヤバい。

ウマすぎる。

シャクシャクの硬い柿を食べる→「うんまぁ~!!」

ふやけた柔らかい柿を食べる→「うめえぇぇぇ~!!」

というわけで、一日に4個も5個も食べています、皮ごとです。

けれどさすがに食べきれないので、干し柿にしてしまうことにしました。甘柿を干し柿にできるのかですって??
できるんですよ。
ネットで調べてみたところ、実際やってる人もいましたし、甘柿と渋柿の違いは“タンニンが水に溶けているか否か”。つまり、タンニンの状態によって渋みを感じるか、感じないかというだけなんですって。


そんなわけで、最近は朝10分ほど庭で柿を採ってから、夜寝る前に皮を剥いて湯通ししてから干す、というライフサイクルです。
たくさんあるので、数珠のように一度に数個干しちゃうことにしました。



干し始めて2週間、最初に干した柿が柔らかくなってまいりました。さっそくモミモミ…(揉むと柔らかくなるんだとか)

モミ・・・モミ・・・モミ・・・
あん♡ キモチいい♡♡

この手触り気持いい♡♡♡

と、何気に興奮(?)する私。

どれ、食べてみちゃおう。

・・・・美味しい!!!!
この甘み、このトロみ、この食感は、まさに渋柿の干し柿!!!

と、味見でさらに大興奮。

実は柿はぐのだいぶ飽きかけてきてたんやけど、またスイッチが入りました☆
実家にシュロの木が植わってるんで、オーガニックマーケット世話人の広瀬さんに教えてもらった方法で、シュロの紐で干すのもやってみよう(^-^)
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